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安全化された”危険遊戯” 中国二つのミュージカル「スリル・ミー」

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オフブロードウェイから始まり、韓国、日本でもロングラン公演を続けてきた人気ミュージカル「スリル・ミー」。現在上海では同じ敷地内にある二つの劇場で中国語版「スリル・ミー」が上演されています。

中国“大劇場版”「スリル・ミー」。上海共舞台(2022年11月17日~12月11日)「彼」王培傑、趙偉鋼、鍾嘉誠。「私」冒海飛、鍾舜傲、張澤。


「スリル・ミー」は1924年にアメリカで実際に起きた事件をモチーフにした作品で、登場人物は「私」(ネイサン)と「彼」(リチャード)の二人のみ、それにピアノ生演奏という独特の形式で演じられる緊迫感のある舞台です。

ここ数年、上海ではミュージカルが非常に流行っています。正規の劇場は数に限りがあるので、ビルや商業施設の中のスペースを改造し、客席数150席前後の舞台と客席が一体になった「常駐劇場」を作り、一つの演目を長期的に上演しています。この種の劇場は人民広場にある「亜洲ビル」と「大世界」という商業施設に集中しています。

「大世界」は上海租界時代からある歴史のある建物です。2003年に閉鎖されるまでは室内遊園地でした。歴史的建造物として保存されることが決まってから大修繕を経て2017年に営業再開したものの、「大世界」という巨大な施設をどう活用すればよいものか迷走していました。現在「大世界」には「イマーシブ式ミュージカル」の常設劇場が7つ設置されており、毎日一定の集客ができています。近年の上海ミュージカルブームが「大世界」を救ったといえます。
1階はオープン形式のステージと飲食スペースになっており、歌、漫才、手品、雑技などのステージパフォーマンスがありますが、チケット制ではないので集客力のある演目を常に揃えるのは難しく、割といつも閑散としています。



「大世界」4階にある「イマーシブ式スリル・ミー」の劇場。4階に劇場が集中しています。




この「イマーシブ式スリル・ミー」の常設劇場は座席数約140席、2021年9月から現在まで常時公演を続けています。ロックダウンの時期を除くと、1年中、ほぼ毎日「スリル・ミー」を上演しています。巨大な柱が二つあるため「全席死角」と言われています。(参考過去記事


「イマーシブ式」とは別に、普通の劇場で上演する本来の「スリル・ミー」もあり、2022年11月17日から12月11日の日程で上演されています。会場は「大世界」の一角にある「共舞台」です。
共舞台 1927年開業の歴史のある劇場。何度も改築されていますがクラシックな雰囲気を留めています。1階席と2階席合わせて800席くらいでサイズ的には大きな映画館というかんじです。






中国版「スリル・ミー」の初演は2016年です。その後、2020年~2021年に再演され、2021年9月からは「イマーシブ式スリル・ミー」も始まりました。

私が最初に「スリル・ミー」を観たのは「韓国版初演キャスト」と言われるチェ・ジェウン×キム・ムヨルペアの公演で、韓国語・日本語字幕付で2012年に天王洲銀河劇場で観ました。
この公演にすごく衝撃を受け、「スリル・ミー」の原型として刷り込まれています。
韓国キャストによる当初の公演には、俳優同士がむやみに接触するような演出はありませんでした。
登場人物である「私」と「彼」は同性愛の関係性よりも、支配欲やエゴイズムにより繋がっている同類のような存在で、反社会性に傾倒する人物の構成要素の一つとして同性愛があり、それほど強調されていませんでした。

その後、2016年に中国初上陸「スリル・ミー」を観たのですが、そのときの中国版「スリル・ミー」は「耽美ミュージカル」になっていました。
どういうわけだか観客が「耽美的な演出」に対してものすごく期待を寄せていて、その期待が芝居の最中でも「キャー」という歓声になって溢れ出していました。びっくりしました。ショックでした。
それから4年の歳月を経て、2020年に「スリル・ミー」が再演されたときには、中国ミュージカルの舞台演出力も向上し、観客のマナーも大幅に良くなっていたのではと思います。
中国版「スリル・ミー」は2016年の初演から現在まで、演出が何度も変わっています。
直近にも大きな変更があり、イマーシブ版、大劇場版ともに台詞、歌詞、演出にかなり大きな変更が加えられました。

中国は言論・表現に対する規制が厳しいです。「社会道徳的にこうあるべき」とされる姿に反する人間を描くことは、推奨されないというか、実質的に禁止することが可能です。今回変更を余儀なくされたのは、「スリル・ミー」の中で描かれる反社会的な要素です。
一つは、同性愛的表現で、俳優同士の体の接触は最小限に減らされました。特に性的な関係性を連想させる動作はきれいにカットされました。
もう一つは犯罪行為にまつわる表現です。耽美要素がカットされたことよりも、犯罪行為に関する改変の方が作品全体に与える影響が遥かに大きいです。
具体的にいうと、事件の中心である「子どもを誘拐して殺す」という表現に規制がかかりました。犯罪行為の対象が「子ども」であることがほとんど分からないようにぼかされ、犯行シーンの手順を表す演出も変わり、歌詞は不自然に変更されました。同時に、「彼」が弟に対して殺意を抱いているという表現もぼかされたため、「彼」は一体何をやりたいのかよく分からなくなってしまい、「彼」という役の難易度がすごく上がってしまったと思います。さらに、「私」も「彼」も犯罪行為に対してそれなりに反省を示しており、「二人はサイコパスではなく、若かったせいで道を踏み外しただけ」という、道徳的に許容されうる解釈に書き換えられていました。

この解釈変更にはショックを受けました。「スリル・ミー」の根本が崩れ、作品として辻褄が合わなくなります。
この演出変更が入った後、11月下旬に「イマーシブ式」の方の「スリル・ミー」を観ました。

「イマーシブ式」は休演日はあるものの、基本的に毎日公演があります。週末は1日2公演です。そのため、舞台経験が比較的浅い俳優もキャスティングされています。「イマーシブ式」の場合、舞台装置の制限があるので、歌詞を変えてしまうと、演技で犯行のいきさつを表現することは至難の業です。私が11月下旬に観たときのキャストは経験不足のためか、演出改変に対応しきれておらず、はっきりいって破綻していました。 
すごい美形で歌唱力も悪くないのですが、一つの作品として辻褄が合っていないのです。俳優の責任ではありませんが・・・・。

中国版「スリル・ミー」の中国語タイトルは「危険遊戯」ですが、今回の台詞・演出改変で反社会的な要素がことごとく削除されたので、「危険遊戯」ではなく「安全遊戯」になってしまったと言われています。
11月下旬に「イマーシブ版」を観たときは「これはもうダメかも」と思いました。中国版「スリル・ミー」をこれ以上続けることは無理だと思いました。
もうこれで最後かもしれない、と思ったので、その数日後に大劇場版「スリル・ミー」を観に行きました。

2022年の大劇場版「スリル・ミー」は、「彼」に3名、「私」に3名の俳優がキャスティングされており、基本的には3つの固定ペアで24公演を回します。その中には、相手役を入替える「限定ペア公演」が5公演(4パータン)あります。
「私」と「彼」を演じる6名の俳優は、いずれも人気と経験とルックスを兼ね揃えた実力のあるキャストです。

「彼」趙偉鋼×「私」鍾嘉誠という限定ペア公演を観ました。鍾嘉誠は「彼」より「私」の方が合っていると思いました。


この限定ペアの中国大劇場版「スリル・ミー」はすごくよかったです。
脚本・演出は「イマーシブ版」とほぼ同じく、反社会性をカットする改変が加えられています。ですが、「大劇場版」は役者の経験値が高く、演技力・歌唱力でカバーできる部分が大きいこと、また、ライティングを上手く使うことでぼかされた演出を上手く繋ぎ合わせていました。
表現規制によりここまで大きなダメージを受けながら、なんとか作品をまとめてきた俳優と演出陣はすごいとしか言いようがありません。初演から「私」を演じている冒海飛は監督も担っています。演出陣の執念でここまでまとめたのではと思います。

共舞台の1階には2021年版の中国版「スリル・ミー」のサイン入りポスターが飾られています。
劉令飛、冒海飛、王培傑、鍾舜傲、趙偉鋼、張澤、叶麒聖、鍾嘉誠。


2021年は大劇場、イマーシブともに中国版「スリル・ミー」が一番面白かった時期なのではと思います。この頃にもっと観ておけばよかったです。
「安全遊戯」になってしまった中国版「スリル・ミー」が今後も続くのかは分かりません。私は2016年の公演にちょっと失望したので、2020年の再演を観ませんでした。そのことを後悔しています。エンタメは、一度失望したくらいで観るのをやめてはいけないのだと反省しています。

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